2016/09/22/ (木) | edit |

大坂夏の陣で、徳川家康に寝返ろうとたくらんだ大名が豊臣秀頼に「城壁から落とされて死んだ」。国際日本文化研究センター(京都市)のフレデリック・クレインス准教授は21日、長崎駐在の東インド会社職員の書簡などを分析したところ、大坂冬・夏の陣の詳細が記されていたと発表した。
引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1474457477/
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160921-00000163-jij-soci
スポンサード リンク
1 名前:たんぽぽ ★[ageteoff]:2016/09/21(水) 20:31:17.35 ID:CAP_USER9.net
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160921-00000163-jij-soci
大坂夏の陣で、徳川家康に寝返ろうとたくらんだ大名が豊臣秀頼に「城壁から落とされて死んだ」。
国際日本文化研究センター(京都市)のフレデリック・クレインス准教授は21日、長崎駐在の東インド会社職員の書簡などを分析したところ、大坂冬・夏の陣の詳細が記されていたと発表した。
オランダ・ハーグ国立文書館所蔵で、1609~33年の長崎・平戸のオランダ商館文書の写し524点を、同ライデン大と共同で分析した。
夏の陣が終わった直後の1615年6月11日付で、東インド会社職員が京都滞在中に聞いた話を商館長に報告した書簡には、「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、家康側に寝返るため大坂城に火を付けたが、秀頼によって城壁から落とされて死んだ」と書かれていた。
2 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:32:01.13 ID:OHMDWGXZ0.net大坂夏の陣で、徳川家康に寝返ろうとたくらんだ大名が豊臣秀頼に「城壁から落とされて死んだ」。
国際日本文化研究センター(京都市)のフレデリック・クレインス准教授は21日、長崎駐在の東インド会社職員の書簡などを分析したところ、大坂冬・夏の陣の詳細が記されていたと発表した。
オランダ・ハーグ国立文書館所蔵で、1609~33年の長崎・平戸のオランダ商館文書の写し524点を、同ライデン大と共同で分析した。
夏の陣が終わった直後の1615年6月11日付で、東インド会社職員が京都滞在中に聞いた話を商館長に報告した書簡には、「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、家康側に寝返るため大坂城に火を付けたが、秀頼によって城壁から落とされて死んだ」と書かれていた。
秀頼ひでーよ
3 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:32:01.57 ID:ea1AGM6g0.netこれはなかなか
12 名前:名無しさん@1周年[age]:2016/09/21(水) 20:37:41.64 ID:o/1r4VLx0.net負け確定なのに、最後の最後で赦免とか何考えてるんだ
16 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:39:11.57 ID:n16BIaOB0.netそりゃ火をつけられたら落とすわ
18 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:40:04.21 ID:lA94r2yo0.netへぇへぇ
21 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:40:40.36 ID:fgwH4m7v0.netただの庶民の噂話を伝聞で報告しただけだろ
信憑性に欠けるわ
信憑性に欠けるわ
秀頼つえーw
51 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:56:22.80 ID:5BrPGJo10.net秀頼の数人の大名って何だ?
秀頼側の大名ってことかな。
55 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:57:38.54 ID:6ilycP450.net秀頼側の大名ってことかな。
そのわりに戦場に出てこなかったな
62 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 20:58:52.85 ID:gsrgJBM90.netただの伝聞じゃねーか
68 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:00:21.47 ID:axMRHGtcO.netただの噂話を書き留めただけ。
事実とは思えない。
103 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:10:08.84 ID:HqBPApVp0.net事実とは思えない。
日本史上まれにみる豪傑じゃん
139 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:22:04.54 ID:Z0qAzKYy0.netそりゃ城に火つけたらな・・・
140 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:22:06.57 ID:hxgEMAYk0.netへうげものあたりにありそうな展開
141 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:22:09.13 ID:2x7vj0AR0.netちょっと待て
本当に大名か?
163 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:27:45.59 ID:tnLvC82n0.net本当に大名か?
無駄に強かったんだな
229 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 21:44:50.17 ID:GSX57Ce80.net秀吉の子供で浅井の孫だからな
実際はかなりの傑物だったはずだが
313 名前:名無しさん@1周年:2016/09/21(水) 22:02:04.83 ID:n0L0flaV0.net実際はかなりの傑物だったはずだが
二条城で家康を力の限りボコってりゃ、少しは変わった
スポンサード リンク
- 関連記事
そりゃ当然、間者を送り込んでいるのは必至の状況、見つけて始末することは、普通にあると思うヨ。
秀頼は身長190㎝、体重150㎏の大男で教養を持ってたらしく、それを見て家康が豊臣家を滅ぼそうと考えたらしい
大名なんて転職気分で殿様変えてたし、今後の転職活動に支障が来たす前に敵方にアピールするのはあるある
長久手の戦いが終わった後に徹底的に潰さなかったのが致命的だったのかな
大野治長と茶々の子供だろ
家康側が後から行った流言を真にうけて書いちゃったんだろ
豊臣もそれに付いた大名もダメだなーと思わせる感じだし
豊臣もそれに付いた大名もダメだなーと思わせる感じだし
大名ってんならどっかに消息くらい残ってるはずなんだがなぁ‥
大坂の陣前後で実際にやっとる事調べたらとてもじゃないが有能ではないわ
教養有ったとしても単に勉強出来ただけの戦も政治もセンス無しにしか見えん
教養有ったとしても単に勉強出来ただけの戦も政治もセンス無しにしか見えん
数人の大名が寝返るため大坂城に火を付けた → 秀頼によって城壁から落とされて死んだ
焼死しては可哀想なので「危なーい!」と突き落として助けようとした可能性が微レ存
焼死しては可哀想なので「危なーい!」と突き落として助けようとした可能性が微レ存
どの大名だよw
場内に残っている大名を突き落として殺したりしたら、そのお付きの家臣達が黙ってはいないだろ
幾ら戦国の世の権力者でも、そんな無法をしたらあっという間に我が身に跳ね返るわ
幾ら戦国の世の権力者でも、そんな無法をしたらあっという間に我が身に跳ね返るわ
大名たち「秀頼さま、南蛮に伝わる舞踊、ファイアーダンスなるものをご存知ですかな?」
秀頼「ほう、舞いであるか?」
大名たち「我ら5人、密かに鍛錬を重ねておりまして、今宵、秀頼さまにお披露目いたしたく」
秀頼「ぜひやって見せよ」
秀頼「ほう、舞いであるか?」
大名たち「我ら5人、密かに鍛錬を重ねておりまして、今宵、秀頼さまにお披露目いたしたく」
秀頼「ぜひやって見せよ」
大阪冬の陣の後、大阪城の外堀や内堀は徳川家に破壊されて、城壁なんて殆ど残ってなかったハズだけど?
部下が取り押さえ、指示を出した。
でも、表現は同じ。
でも、表現は同じ。
イエズス会や東インド会社の書簡は重要な歴史的資料でもあり、
デマの大本でもあるからなあ。
上杉謙信女性説なんて笑い話がいつの間にか真実のように語られるのは、
地元民としてちょっと悲しい。
出家させるために寺で修行させた時点で男に決まってるのにね。
デマの大本でもあるからなあ。
上杉謙信女性説なんて笑い話がいつの間にか真実のように語られるのは、
地元民としてちょっと悲しい。
出家させるために寺で修行させた時点で男に決まってるのにね。
どう見てもただのデマで、資料価値ゼロじゃねーか。
「庶民の間でそういう噂があった」以上の意味なんて無い。
「庶民の間でそういう噂があった」以上の意味なんて無い。
こんなの新聞にとりあげるなよなー。
大坂の陣では徳川方(あらゆる立場の人間)の間者が戦の始まる前に浪人を装ってかなりの人数が入城したのは当時の日本側の文書でもいくつも確認できる
また夏の陣では、実際に複数の内通者が城内に火を付けようとしたが露見し、失敗した事がこれも徳川方の(各大名家も含む)記録にも残る
徳川方に内通しようとして露見し、ころされた(切腹を命じられた)大名クラスの人物としては元羽衣石城主の南条元忠(6万石)が知られている
南條元忠はれっきとした元大名(関ヶ原役で改易)なので「切腹」を命じられたが、名もない内通者はその場で首をはねられたり、徳川方への見せしめのために城壁から落とされる事もあっただろう
勿論秀頼自身が手を下すはずもなく、事後報告か事前に同意を求められたぐらいで、大野治長あたりの裁量かあるいは現場責任者の判断で(戦場にて城に火を付けようとした緊急性から)始末した事もあるかもしれない
東インド会社書簡の「大名」が「ダイミョウ」なのか、あるいは「諸侯」や「領主」なのかは分からないが、少なくとも城に火を付けようとして露見した内通者が何人もいた事と、内通が露見して切腹を命じられた元大名がいた事は「史実」である
また夏の陣では、実際に複数の内通者が城内に火を付けようとしたが露見し、失敗した事がこれも徳川方の(各大名家も含む)記録にも残る
徳川方に内通しようとして露見し、ころされた(切腹を命じられた)大名クラスの人物としては元羽衣石城主の南条元忠(6万石)が知られている
南條元忠はれっきとした元大名(関ヶ原役で改易)なので「切腹」を命じられたが、名もない内通者はその場で首をはねられたり、徳川方への見せしめのために城壁から落とされる事もあっただろう
勿論秀頼自身が手を下すはずもなく、事後報告か事前に同意を求められたぐらいで、大野治長あたりの裁量かあるいは現場責任者の判断で(戦場にて城に火を付けようとした緊急性から)始末した事もあるかもしれない
東インド会社書簡の「大名」が「ダイミョウ」なのか、あるいは「諸侯」や「領主」なのかは分からないが、少なくとも城に火を付けようとして露見した内通者が何人もいた事と、内通が露見して切腹を命じられた元大名がいた事は「史実」である
大名の基準がまだ曖昧な時期だからな、5000石前後の馬廻連中ならあり得ないこともないが……漂うへうげ臭
誹謗中傷、差別、反社会的な内容、未成年に不適切なコメントなどはお控えください。
コメントスパム対策のため、きつめに禁止ワードを設定しております。
コメントスパム対策のため、きつめに禁止ワードを設定しております。
|

アンテナさんからの人気、注目記事!!
おすすめ新着記事!!
