2018/12/01/ (土) | edit |

ソース:https://www.asahi.com/articles/ASLCX3R41LCXUTIL00N.html
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1 名前:ばーど ★:2018/12/01(土) 00:02:04.58 ID:CAP_USER9
かつては学校給食の中心だったパン。最近では全国平均で週1回程度しか提供されず、業者が次々姿を消しているという。なぜ、こんなに減ったのか。
10月中旬、岩手県北部にある葛巻町立江刈小。給食の時間になると、子どもたちは持参したお弁当箱を開け始めた。中身はほとんどがご飯だ。同町ではこの1年、給食で主食が提供できていない。昨年9月末、給食パンを納入していた同県一戸町の「一野辺製パン」が破産したためだ。
破産管財人の弁護士によると、給食パンの回数が減ったことが一因という。同社は米飯も提供していたため、給食で主食が出せなくなった。その後、他県の業者が工場を購入して操業を始めたが、中山間地の葛巻町へはコスト面からパンを配送できないという。町は、今年度中は児 童に主食を持参させる方針だ。
全日本パン協同組合連合会(全パン連)によると、昭和20~40年代に6千社あった給食パン業者は現在、1300社を切っている。一番の理由は、パン給食の回数が減ったことだ。かつては週5回だったが、文部科学省の2016年の調査によると、米飯は週平均3・4回で、残りはパンか麺。全パン連によると、パンは平均1・3回という。川島弘士副会長(74)は「毎年100社消えている。せめて週2回のパン給食が維持されないと業者はなくなる」と言う。
今年4月に廃業した茨城県日立市の「キムラヤ」も2年前、給食パンの製造をやめた。日立市などがある県北部のパン食の回数は、週平均1・5回。経営していた平子允秀さん(77)は「パン給食が減ったのが閉店理由の一つ。週1回程度で設備投資ができない」。
業者が減ったため、県境を越え…残り:738文字/全文:1416文字

2018年11月30日16時13分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLCX3R41LCXUTIL00N.html
2 名前:名無しさん@1周年[ sage]:2018/12/01(土) 00:03:16.07 ID:4eSyk3MA010月中旬、岩手県北部にある葛巻町立江刈小。給食の時間になると、子どもたちは持参したお弁当箱を開け始めた。中身はほとんどがご飯だ。同町ではこの1年、給食で主食が提供できていない。昨年9月末、給食パンを納入していた同県一戸町の「一野辺製パン」が破産したためだ。
破産管財人の弁護士によると、給食パンの回数が減ったことが一因という。同社は米飯も提供していたため、給食で主食が出せなくなった。その後、他県の業者が工場を購入して操業を始めたが、中山間地の葛巻町へはコスト面からパンを配送できないという。町は、今年度中は児 童に主食を持参させる方針だ。
全日本パン協同組合連合会(全パン連)によると、昭和20~40年代に6千社あった給食パン業者は現在、1300社を切っている。一番の理由は、パン給食の回数が減ったことだ。かつては週5回だったが、文部科学省の2016年の調査によると、米飯は週平均3・4回で、残りはパンか麺。全パン連によると、パンは平均1・3回という。川島弘士副会長(74)は「毎年100社消えている。せめて週2回のパン給食が維持されないと業者はなくなる」と言う。
今年4月に廃業した茨城県日立市の「キムラヤ」も2年前、給食パンの製造をやめた。日立市などがある県北部のパン食の回数は、週平均1・5回。経営していた平子允秀さん(77)は「パン給食が減ったのが閉店理由の一つ。週1回程度で設備投資ができない」。
業者が減ったため、県境を越え…残り:738文字/全文:1416文字


2018年11月30日16時13分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLCX3R41LCXUTIL00N.html
ギャー
4 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:03:26.01 ID:CBLQirbj0パンて高いんか?
11 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:04:44.92 ID:N3QGg8PN0パンが無ければケーキを食べればいいじゃない
13 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:05:07.98 ID:H99Q8ZFV0腹持ち
20 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:06:18.84 ID:fi7/6Bx50そもそも粉モン出し過ぎだっただけ
22 名前:名無しさん@1周年[age]:2018/12/01(土) 00:06:38.13 ID:rTxdYtpwO給食食べたいね
45 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:09:11.76 ID:ARdfiSoC0ソフト麺食ってろ
46 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:09:12.71 ID:yhiI6Dgd0
昭和の給食がパンになったのも余った軍用小麦を売りつけたい
GHQのゴリ押し、それと日本人を米文化から遠ざける
みたいな目論見だったんだろうな
51 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:09:49.51 ID:ff+zJC390GHQのゴリ押し、それと日本人を米文化から遠ざける
みたいな目論見だったんだろうな
パンの方が設備が簡単
65 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:11:40.71 ID:brSxCWTi0パン高いじゃん。こめくえや。
143 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:19:18.50 ID:ReJb9PHx0子供の数も減ってるものな
207 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:24:44.56 ID:kqG3X2Qq0バターロールやツイストロールパンは美味しかったな。
227 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:26:15.93 ID:/4iMKiVA0きゅうりの酢の物と渦巻きパン
最低な食べ合わせ
262 名前:名無しさん@1周年:2018/12/01(土) 00:29:35.47 ID:XX2Dx7ZU0最低な食べ合わせ
欧米じゃあるまいし日本は米でいい
引用元:https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543590124/スポンサード リンク
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米飯が麺やパンを駆逐 全米が勝利
皆政府の方針 米農家が米消費減り議員や農林水産省や文科省に圧力
せめて 国産小麦農家を守る為に 普段から家庭でお米食べろや 次は製麵業者が潰れる
皆政府の方針 米農家が米消費減り議員や農林水産省や文科省に圧力
せめて 国産小麦農家を守る為に 普段から家庭でお米食べろや 次は製麵業者が潰れる
>>昭和の給食がパンになったのも余った軍用小麦を売りつけたいGHQのゴリ押し、それと日本人を米文化から遠ざけるみたいな目論見だったんだろうな
これ知らない人から見たらトンデモ論だと思われそう
これ知らない人から見たらトンデモ論だと思われそう
米でいいし何も味付けの無いコッペパン嫌いだったな
俺の時代は月に1回から2回位いしか米が出なかった、朝食もパンだったから朝パン昼パン夜米でパンが嫌いだった。給食での米はご馳走だったな。
米の方が健康にいいんやよ
給食のパンって不味かったから無くなってしまっても良いじゃん。
今はどうなんだか知らんけど、昭和の頃のコッペパンなんぞパサパサで美味いもんじゃ無かったな
輸入米が入るようになれば皿にコストを下げられるねぇ。
何でも業者任せの教育関係がそこまでチェックするはずもないからねぇ。
何でも業者任せの教育関係がそこまでチェックするはずもないからねぇ。
学校給食は1947年1月にスタートしました。
大東亜戦争の終戦後、日本は未曾有の食糧難に見舞われており、疎開から東京に帰ってきた学童たちも栄養失調の状態でした。
その様子を見た国連救済復興機関の代表者がGHQのマッカーサーに速やかに学校給食を実施することを勧めています。
これがきっかけとなり、学校給食実施に向けてGHQと日本側が動き出すのですが、なんせ当時の日本は戦争ですべてを消費し、食糧がありません。
その時に手を差し伸べてくれたのがアメリカのララ(LARA Licensed Agencies for Relief in Asia)という団体。
LARAはアメリカのボランティア組織で、日本での給食のために食糧の一部を寄付してもらえることになったのです。
こうした援助のおかげで日本は学校給食を開始することができました。
学校給食は順調に運営され、子供たちも助かり、父兄にも好評でした。
まだ都市部でしか給食が実施されていなかったため、「この素晴らしい給食を全国の小学校に普及させよう」という動きが出ました。
当時の日本はまだアメリカの占領下にあったので、全国での給食実施をGHQに許可を得る必要がありました。
しかし、GHQの返答は「日本政府が今後ともこの完全給食を協力に推進する確約をしなければ許可しがたい」というものでした。
"完全給食"とはいわゆる小麦を使ったパン食や脱脂粉乳を使ったミルク給食などです。
つまりは「全国で給食やってもいいけど、ご飯とかの給食やり始めたらダメだからね。今後もちゃんとパンと牛乳を出す給食をやるってんなら許可してやるよ」というわけです。
なぜアメリカがこんな通達を出してきたのか。
この通達が出たのは1950年で日本は翌年のサンフランシスコ講和条約により、独立国としての地位を得ました。
そうするとGHQも日本から引き上げなければならない。
そうなるとせっかく始まったパンと牛乳の給食も日本が今後勝手に独自のものに変えだすかもしれない。
アメリカはこれを恐れていたのではないでしょうか。
アメリカの農産物の一大消費地になり得るこの日本に影響力を残しておきたい。
そういったアメリカの意図が見え隠れします。
日本はこのアメリカの通達に対して承諾の旨を伝えます。
これにより、その後の日本のパンと牛乳の給食は決定的なものとなりました。
"今後"を閣議で確約してしまったのです。
そして1951年、日本が独立を取り戻すと、今度はまた新たな問題が持ち上がります。
それまでは占領下ということで食糧の支援を受けていたのですが、その一部が打ち切りになってしまったのです。
これでは学校給食を実施するだけの食糧がなくなってしまう。
ちょうどその時、日本を救ったのは"PL 480法案"です。
その内容は、
①アメリカは給食小麦粉を4か年に4分の1ずつ漸減して贈与する。
②日本政府は4年間にわたり、年間18万5千トンレベルの小麦給食を維持すること
つまり、アメリカは日本側にPL480法による学校給食用の小麦援助をするかわりに、4年間は18万5千トンの小麦給食を維持することを求めてきたのです。
しかも
「そのうち初年度は10万トン無償であげるけど、足りない8万5千トンは自分でアメリカから買ってね。そんで次の年からはタダであげる分を毎年2万5千トンずつ減らしていくけど、18万5千トンに足りない分はちゃんと買ってね。これを必ず4年間続けること」
と言ってきたのです。
この4年間というのが絶妙です。
「4年も小麦給食を続けたらもう日本は後戻りできないだろう」という意図を感じます。
アメリカはすこぶる頭がいいですね。
今なお日本でパン中心の給食、ご飯にも牛乳がくっついてくる給食が実施されている裏にはこのような背景があります。
子供の時に覚えた味は大人になっても忘れません。
給食が日本の食の欧米化に拍車をかけたのです。
日本の食文化を教えるのも大事な食育。その食育に使われる"生きた教材"である給食にはやはりご飯が使われるべきなのではないでしょうか?
こうした話をするとまるでアメリカが悪者のように写ってしまいますが、アメリカは何も詐欺行為を働いたわけではありません。
もちろんそこには自国を富ませるという思惑が存在していたと思いますが、それはどの国も考えること。
そしてしかるべき手段を経てしかるべき議論を日本側と交渉の上、実施したのです。
問題は日本側にもあります。
アメリカの食糧に頼らざるを得ない部分もあったことは理解できますが、状況が変わってからもそれをそのまま継続していること。
また、いわゆる"栄養改善運動"を推し進めた栄養や食に関わる人たちも、栄養素だけ見て欧米の食事の優れている点を賞賛し、日本食の欠点を批判し、それに加担した部分があります。
大東亜戦争の終戦後、日本は未曾有の食糧難に見舞われており、疎開から東京に帰ってきた学童たちも栄養失調の状態でした。
その様子を見た国連救済復興機関の代表者がGHQのマッカーサーに速やかに学校給食を実施することを勧めています。
これがきっかけとなり、学校給食実施に向けてGHQと日本側が動き出すのですが、なんせ当時の日本は戦争ですべてを消費し、食糧がありません。
その時に手を差し伸べてくれたのがアメリカのララ(LARA Licensed Agencies for Relief in Asia)という団体。
LARAはアメリカのボランティア組織で、日本での給食のために食糧の一部を寄付してもらえることになったのです。
こうした援助のおかげで日本は学校給食を開始することができました。
学校給食は順調に運営され、子供たちも助かり、父兄にも好評でした。
まだ都市部でしか給食が実施されていなかったため、「この素晴らしい給食を全国の小学校に普及させよう」という動きが出ました。
当時の日本はまだアメリカの占領下にあったので、全国での給食実施をGHQに許可を得る必要がありました。
しかし、GHQの返答は「日本政府が今後ともこの完全給食を協力に推進する確約をしなければ許可しがたい」というものでした。
"完全給食"とはいわゆる小麦を使ったパン食や脱脂粉乳を使ったミルク給食などです。
つまりは「全国で給食やってもいいけど、ご飯とかの給食やり始めたらダメだからね。今後もちゃんとパンと牛乳を出す給食をやるってんなら許可してやるよ」というわけです。
なぜアメリカがこんな通達を出してきたのか。
この通達が出たのは1950年で日本は翌年のサンフランシスコ講和条約により、独立国としての地位を得ました。
そうするとGHQも日本から引き上げなければならない。
そうなるとせっかく始まったパンと牛乳の給食も日本が今後勝手に独自のものに変えだすかもしれない。
アメリカはこれを恐れていたのではないでしょうか。
アメリカの農産物の一大消費地になり得るこの日本に影響力を残しておきたい。
そういったアメリカの意図が見え隠れします。
日本はこのアメリカの通達に対して承諾の旨を伝えます。
これにより、その後の日本のパンと牛乳の給食は決定的なものとなりました。
"今後"を閣議で確約してしまったのです。
そして1951年、日本が独立を取り戻すと、今度はまた新たな問題が持ち上がります。
それまでは占領下ということで食糧の支援を受けていたのですが、その一部が打ち切りになってしまったのです。
これでは学校給食を実施するだけの食糧がなくなってしまう。
ちょうどその時、日本を救ったのは"PL 480法案"です。
その内容は、
①アメリカは給食小麦粉を4か年に4分の1ずつ漸減して贈与する。
②日本政府は4年間にわたり、年間18万5千トンレベルの小麦給食を維持すること
つまり、アメリカは日本側にPL480法による学校給食用の小麦援助をするかわりに、4年間は18万5千トンの小麦給食を維持することを求めてきたのです。
しかも
「そのうち初年度は10万トン無償であげるけど、足りない8万5千トンは自分でアメリカから買ってね。そんで次の年からはタダであげる分を毎年2万5千トンずつ減らしていくけど、18万5千トンに足りない分はちゃんと買ってね。これを必ず4年間続けること」
と言ってきたのです。
この4年間というのが絶妙です。
「4年も小麦給食を続けたらもう日本は後戻りできないだろう」という意図を感じます。
アメリカはすこぶる頭がいいですね。
今なお日本でパン中心の給食、ご飯にも牛乳がくっついてくる給食が実施されている裏にはこのような背景があります。
子供の時に覚えた味は大人になっても忘れません。
給食が日本の食の欧米化に拍車をかけたのです。
日本の食文化を教えるのも大事な食育。その食育に使われる"生きた教材"である給食にはやはりご飯が使われるべきなのではないでしょうか?
こうした話をするとまるでアメリカが悪者のように写ってしまいますが、アメリカは何も詐欺行為を働いたわけではありません。
もちろんそこには自国を富ませるという思惑が存在していたと思いますが、それはどの国も考えること。
そしてしかるべき手段を経てしかるべき議論を日本側と交渉の上、実施したのです。
問題は日本側にもあります。
アメリカの食糧に頼らざるを得ない部分もあったことは理解できますが、状況が変わってからもそれをそのまま継続していること。
また、いわゆる"栄養改善運動"を推し進めた栄養や食に関わる人たちも、栄養素だけ見て欧米の食事の優れている点を賞賛し、日本食の欠点を批判し、それに加担した部分があります。
2198897
なげーし、転載元を載せろ。
なげーし、転載元を載せろ。
これで好景気らしいから笑っちまうよ
一方家庭ではパンの消費が増えて米食う量は減ってるんだよな
*2198875
コッペパンどころか食パンも不味かった。
コッペパンどころか食パンも不味かった。
煮つけにパンは合わないだろ、って子供の頃ずっと思ってた、米大いに結構!
あのコッペパン不味かったけど懐かしくはある。二度と食べたいとは思わないけどなぁ…。
ウチのパンはうまかったが、おまえらかわいそうだな
戦後の小麦粉緊急輸入は有償でかつアメリカで余った古小麦の処分先のためと聞いたが
パンには添加物が入りすぎる。
コメが一番です
コメが一番です
コッペパン嫌いです・・・
どうせマーガリン、ショートニング入ってるんだろうからパン出さなくて良いよ。白米と
触るなよ、頭の悪い団塊ジジイがコピペして悦に入ってるだけなんだから
ただでさえ利益率なんて低いだろうし
週1しかなきゃそれを専門にしてるところはそりゃあ潰れるわ
週1しかなきゃそれを専門にしてるところはそりゃあ潰れるわ
貧乏人の小倅で粗食が当たり前だったけど、
その俺でも小学校の給食のパンは嫌いだったなあ
パサパサしてて、牛乳を飲みながらでないと食べられない代物だったっけ
あんな代物食わされてパンが好きになれるわけない
実際、大人になって市販の食パンの品質が上がってくるまでは
わざわざパンを食べるなんてほとんどしなかったよ
その俺でも小学校の給食のパンは嫌いだったなあ
パサパサしてて、牛乳を飲みながらでないと食べられない代物だったっけ
あんな代物食わされてパンが好きになれるわけない
実際、大人になって市販の食パンの品質が上がってくるまでは
わざわざパンを食べるなんてほとんどしなかったよ
米粉でパン焼けばいいんじゃね。
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