2019/04/15/ (月) | edit |

ソース:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190414-00010001-norimono-bus_all
1 名前:記憶たどり。 ★:2019/04/14(日) 17:01:08.14 ID:zTkpK3yb9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190414-00010001-norimono-bus_all
時代は「超ド級」、旧海軍は試行錯誤中
戦艦「扶桑」は、一度見たら忘れられない印象的な外見をしています。まず、そびえ立つ艦橋は増床を繰り返した違法建築ビルのよう。
6基もある35.6cm連装主砲塔の配置も独特です。3番、4番砲塔は艦橋、煙突、後部艦橋にはさまれた位置に配置されています。かなり無理なレイアウトに見えますが、「超ド級」戦艦を造ろうとした旧日本海軍の、苦心の作なのです。
「戦艦」の革新的存在となったのがイギリスのドレッドノート級戦艦ですが、世界はすぐにこれを超えた戦艦を研究します。
よく使われる「超ド級」という言葉は元々「ドレットノート級を超える」という意味から来ています。
兵器に限りませんが、工業製品開発はつねに追いつけ追い越せの競争です。そうした渦中に飛び込んだ日本の、初の超ド級戦艦が、
1915(大正3)年11月に竣工させた「扶桑」です。
「扶桑」は35.6cm連装主砲塔を6基も詰め込みます。この主砲塔は建造コストの削減や取扱いが統一できるというメリットから、「扶桑」のおよそ2年前に竣工した戦艦「金剛」はじめ4隻の金剛型と同じものです。当時、最大級の35.6cm砲を12門も装備した「扶桑」は
「超ド級」にふさわしい戦闘力を発揮できそうですが、実際はそんなにうまくはいきません。
建造よりも長い時間を掛けて改装したが。
「扶桑」は日本初となる排水量3万トン超えの巨艦となりました。竣工時点では世界でもっとも強力な戦艦といってもよかったのです。ところが最高速力は22.5ノット(約41.6km/h)しか出せなかったため、ほかの戦艦(伊勢型24.5ノット〈約45.3km/h〉、長門型25ノット
〈約46.3km/h〉)と戦隊が組めず、この速力不足が後々まで、文字通り「扶桑」の足を引っ張ることになります。
12門もある主砲は、横方向に斉射すると、爆炎が艦全体を覆って照準を妨げ、爆風で艦橋構造物が破損し、おまけに船体がゆがむという有様でした。また第1次世界大戦の海戦の経験から、戦艦は側面防御だけでなく、真上から落下してくる砲弾に対する水平面の防御も重要なことがわかりましたが、「扶桑」は甲板や主砲塔の天蓋装甲が薄いなど、水平面の防御力が不足していることも明らかになりました。
つまり「扶桑」は、日本海軍の期待とは裏腹に、走、攻、守とも欠陥を抱えていたのです。これを改善するため1930(昭和5)年4月から
1933(昭和8)年5月、1934(昭和9)年9月から1935(昭和10)年2月の2度に渡って、述べ約4年をかけて近代化改修工事が実施されます。工期が2回に分かれたのは、1931(昭和6)年9月から1932(昭和7)年2月のあいだに「満州事変」が起こり、工事を中断して配置に戻ったためです。ちなみに「扶桑」の起工は1912(大正元)年3月、就役が1915(大正4)年11月ですので、建造期間より改修期間の方が長くかかっています。
そしてあの特徴的すぎる艦橋に
2度にわたる改修の結果、主砲の最大仰角を25度から43度まで増やして射程が3万mを超えるようになり、射撃指揮装置も一新されます。遠距離の射撃観測、照準、指揮のため、艦橋も増築されて、水面から高さ50m以上(ビルなら12階建て相当)にまで延び、
そこに最新の8m測距儀が据え付けられます。また3番砲塔上に水上観測機を発進させるカタパルトを増設したため、前部艦橋の背面下部がくびれたいびつな形となり、これが「扶桑」と同型艦「山城」とを区別するポイントにもなっています。
主砲の射程は長くなりましたが、精度は良くありませんでした。主砲塔を6基も並べた構造に根本的な問題があり、射撃時の衝撃で生じる船体のゆがみが原因ではないかといわれています。
水平面の装甲が強化されたことにより、排水量は約3割増加しました。速力不足を改善するため機関も強化されますが、船体のまんなかに配置されていた砲塔が邪魔になってボイラーなどの増設が難しく、充分な強化とはなりませんでした。煙突は1本にまとめられます。
テストでは最高速力24.7ノット(約45.7km/h)を絞り出しますが、それでも鈍足戦艦であることには変わりありませんでした。
「戦ってはいけないフネだった」
1943(昭和18)年6月から1944(昭和19)年2月まで、「扶桑」の艦長を務めた鶴岡信道大佐は戦後、「結果的には、『扶桑』『山城』という戦艦は、本来、太平洋戦争で使ってはならないフネだったわけですね」と回想しています。

4 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:03:11.53 ID:ZlqG/Yw80時代は「超ド級」、旧海軍は試行錯誤中
戦艦「扶桑」は、一度見たら忘れられない印象的な外見をしています。まず、そびえ立つ艦橋は増床を繰り返した違法建築ビルのよう。
6基もある35.6cm連装主砲塔の配置も独特です。3番、4番砲塔は艦橋、煙突、後部艦橋にはさまれた位置に配置されています。かなり無理なレイアウトに見えますが、「超ド級」戦艦を造ろうとした旧日本海軍の、苦心の作なのです。
「戦艦」の革新的存在となったのがイギリスのドレッドノート級戦艦ですが、世界はすぐにこれを超えた戦艦を研究します。
よく使われる「超ド級」という言葉は元々「ドレットノート級を超える」という意味から来ています。
兵器に限りませんが、工業製品開発はつねに追いつけ追い越せの競争です。そうした渦中に飛び込んだ日本の、初の超ド級戦艦が、
1915(大正3)年11月に竣工させた「扶桑」です。
「扶桑」は35.6cm連装主砲塔を6基も詰め込みます。この主砲塔は建造コストの削減や取扱いが統一できるというメリットから、「扶桑」のおよそ2年前に竣工した戦艦「金剛」はじめ4隻の金剛型と同じものです。当時、最大級の35.6cm砲を12門も装備した「扶桑」は
「超ド級」にふさわしい戦闘力を発揮できそうですが、実際はそんなにうまくはいきません。
建造よりも長い時間を掛けて改装したが。
「扶桑」は日本初となる排水量3万トン超えの巨艦となりました。竣工時点では世界でもっとも強力な戦艦といってもよかったのです。ところが最高速力は22.5ノット(約41.6km/h)しか出せなかったため、ほかの戦艦(伊勢型24.5ノット〈約45.3km/h〉、長門型25ノット
〈約46.3km/h〉)と戦隊が組めず、この速力不足が後々まで、文字通り「扶桑」の足を引っ張ることになります。
12門もある主砲は、横方向に斉射すると、爆炎が艦全体を覆って照準を妨げ、爆風で艦橋構造物が破損し、おまけに船体がゆがむという有様でした。また第1次世界大戦の海戦の経験から、戦艦は側面防御だけでなく、真上から落下してくる砲弾に対する水平面の防御も重要なことがわかりましたが、「扶桑」は甲板や主砲塔の天蓋装甲が薄いなど、水平面の防御力が不足していることも明らかになりました。
つまり「扶桑」は、日本海軍の期待とは裏腹に、走、攻、守とも欠陥を抱えていたのです。これを改善するため1930(昭和5)年4月から
1933(昭和8)年5月、1934(昭和9)年9月から1935(昭和10)年2月の2度に渡って、述べ約4年をかけて近代化改修工事が実施されます。工期が2回に分かれたのは、1931(昭和6)年9月から1932(昭和7)年2月のあいだに「満州事変」が起こり、工事を中断して配置に戻ったためです。ちなみに「扶桑」の起工は1912(大正元)年3月、就役が1915(大正4)年11月ですので、建造期間より改修期間の方が長くかかっています。
そしてあの特徴的すぎる艦橋に
2度にわたる改修の結果、主砲の最大仰角を25度から43度まで増やして射程が3万mを超えるようになり、射撃指揮装置も一新されます。遠距離の射撃観測、照準、指揮のため、艦橋も増築されて、水面から高さ50m以上(ビルなら12階建て相当)にまで延び、
そこに最新の8m測距儀が据え付けられます。また3番砲塔上に水上観測機を発進させるカタパルトを増設したため、前部艦橋の背面下部がくびれたいびつな形となり、これが「扶桑」と同型艦「山城」とを区別するポイントにもなっています。
主砲の射程は長くなりましたが、精度は良くありませんでした。主砲塔を6基も並べた構造に根本的な問題があり、射撃時の衝撃で生じる船体のゆがみが原因ではないかといわれています。
水平面の装甲が強化されたことにより、排水量は約3割増加しました。速力不足を改善するため機関も強化されますが、船体のまんなかに配置されていた砲塔が邪魔になってボイラーなどの増設が難しく、充分な強化とはなりませんでした。煙突は1本にまとめられます。
テストでは最高速力24.7ノット(約45.7km/h)を絞り出しますが、それでも鈍足戦艦であることには変わりありませんでした。
「戦ってはいけないフネだった」
1943(昭和18)年6月から1944(昭和19)年2月まで、「扶桑」の艦長を務めた鶴岡信道大佐は戦後、「結果的には、『扶桑』『山城』という戦艦は、本来、太平洋戦争で使ってはならないフネだったわけですね」と回想しています。

俺は好きだよ
6 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:04:40.45 ID:PSc122GE0戦艦の時代は終わった
7 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:04:55.58 ID:xC9QWROQ0サザエさん最強はフネさん説
17 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:11:17.84 ID:EuATx2n50父さんこんな古いものを
24 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:16:38.29 ID:gfylsvBi0ファンは多いな
一度見たら忘れない
一度見たら忘れない
32 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:19:05.49 ID:wQJKiBWV0
中央の大砲つかいにくそう
35 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:20:09.41 ID:z7tTUtBd0超弩級の由来を初めて知った
71 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:37:37.28 ID:PljUw+kX0フネって
サザエさんかとおもた
109 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 17:48:24.44 ID:x2dynE8n0サザエさんかとおもた
戦ってはいけないミフネだった
149 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 18:00:09.13 ID:1/tmFFkQ0でもかっこいいよな 巨人みたいで
243 名前:名無しさん@1周年:2019/04/14(日) 18:34:04.28 ID:S0VtMh5b0江戸の終わりから50年でこれだけの物作ってたのがビックリ。
アメリカには負けたけど、日本人すごくね
引用元:https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1555228868/アメリカには負けたけど、日本人すごくね
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扶桑型戦艦は海外でも人気あるね
但し実際にレイテ海戦で艦橋が折れたのは山城の方だった
軍事力はほどほどで良いので今世紀は経済戦争で勝ってくれ
もう敗戦しそうだけど。。
もう敗戦しそうだけど。。
センターが後ろにずれているジェンガみたいな艦橋。
なので向い風に高速で突っ込むと後ろに倒れそう、高速で目いっぱい舵をきると遠心力に耐え切れず倒れそうな艦橋が好き。
小さい頃は不細工で嫌いだったけど今は一番好き。
よくぞ扶桑を造ってくれたと旧日本海軍に感謝しています。
なので向い風に高速で突っ込むと後ろに倒れそう、高速で目いっぱい舵をきると遠心力に耐え切れず倒れそうな艦橋が好き。
小さい頃は不細工で嫌いだったけど今は一番好き。
よくぞ扶桑を造ってくれたと旧日本海軍に感謝しています。
最後に出てきた鶴岡少将は天一号作戦で第二艦隊の前路警戒にあたった31戦隊司令。
なんとこの人、戦艦陸奥爆沈時の扶桑艦長だったり出撃しても敵に遭遇しない爆運の持ち主だったりする。
なんとこの人、戦艦陸奥爆沈時の扶桑艦長だったり出撃しても敵に遭遇しない爆運の持ち主だったりする。
コイツは戦うことに意義があったのではなく
文字通り作る過程にこそ意義があった。
シミュレーションでは得られない経験というやつだ。
加賀もそういう意味では仲間だ。
文字通り作る過程にこそ意義があった。
シミュレーションでは得られない経験というやつだ。
加賀もそういう意味では仲間だ。
ハウルの動く城はこれから着想したんだろ
>アメリカには負けたけど、日本人すごくね
すごいよ、ただし軍事で伸ばすべきベクトルを完全に間違った話に続くからね
すごく「間違った」方向へ貴重な鋼鉄などの資材を大量につぎ込んでしまい結果敗因に直結した話
端緒を開いたという意味では根がここから始まったという意味深いシロモノ
すごいよ、ただし軍事で伸ばすべきベクトルを完全に間違った話に続くからね
すごく「間違った」方向へ貴重な鋼鉄などの資材を大量につぎ込んでしまい結果敗因に直結した話
端緒を開いたという意味では根がここから始まったという意味深いシロモノ
まぁ時代の第一線で勝てる艦って訳じゃ無いけど各国共に扶桑以下の戦艦それなりに作ってるしね
日本に限らず各国も試行錯誤だったから
日本に限らず各国も試行錯誤だったから
特にでかい砲積んだけど全砲門撃てないよね?ってのは扶桑に限らず結構皆やらかしてる
ジェンガすき
超ド級ってそういう意味やったんか!
ザ・パゴダマスト
まあ、斉射ぜずにずっと交互打ち方すりゃいい事ではあるがな。衝撃とかの問題は。
水平装甲の件はどの戦艦もにたりよったり。フッドの爆沈も同じ理由だし。
結局砲塔6基がきついってわけで。まだ3連装が生まれてない時代だから10門におさえて、重巡妙高のような配置にすれば、だいぶ余裕がでたんだろうけどね。
水平装甲の件はどの戦艦もにたりよったり。フッドの爆沈も同じ理由だし。
結局砲塔6基がきついってわけで。まだ3連装が生まれてない時代だから10門におさえて、重巡妙高のような配置にすれば、だいぶ余裕がでたんだろうけどね。
この写真はいつのものだろうか
少々にぎやかな雰囲気だが
少々にぎやかな雰囲気だが
この手のハードウェアには強い日本だったが、運用だったりソフトウェアに弱い日本のまま現在に至ってるよな。
造ってるときは楽しくて仕方ない船だったんだろうな
>>2284740
そんな「結果がすべて分かってからの後出し批判」で
ドヤ顔できるなんて……すごいね!
そんな「結果がすべて分かってからの後出し批判」で
ドヤ顔できるなんて……すごいね!
今の「「いずも」だって後年の日本人から見れば「中途半端なダメ空母」と評される可能性は十分にあるわけだしな
しかしまさにその時代を生きている我々にしてみれば、戦後の一大エポックであり転換点であることは揺るがない事実だ
扶桑型もそうした時代の流れで生まれ、そして死んでいった存在だったと思う
しかしまさにその時代を生きている我々にしてみれば、戦後の一大エポックであり転換点であることは揺るがない事実だ
扶桑型もそうした時代の流れで生まれ、そして死んでいった存在だったと思う
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