2020/01/07/ (火) | edit |

日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
ソース:http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
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1 名前:首都圏の虎 ★:2020/01/06(月) 17:12:48.49 ID:hGbTTLlQ9
日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
5 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:14:41.96 ID:Ca81VCCd0日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
元は中国じゃなかっただろ?
11 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:16:59.76 ID:Cbkfrp8I0いつも朝鮮がいる方が負ける
25 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:25:30.28 ID:irurLMMw0そら、宗像三姉妹を怒らしたら罰があたるわ
43 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:31:38.17 ID:s6CyHoq20
鎌倉武士ったら日本の歴史上最強の兵だろ?
半島のヘタレが敵う訳ねーしw
62 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:37:53.56 ID:Jd+F0ZzS0半島のヘタレが敵う訳ねーしw
それが原因で元は滅び
80 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:43:36.53 ID:A4UPMguI0純粋に距離の問題だろ
当時の技術力では、征服できるだけの海外遠征は無理だったのにやって失敗した
それだけの話だな
116 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 17:50:44.42 ID:G1wmdj1fO当時の技術力では、征服できるだけの海外遠征は無理だったのにやって失敗した
それだけの話だな
略奪蛮行をするために力を使うものと、正義のために力を使う者の差
154 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 18:00:19.33 ID:/ZOdxjsP0愚かだったんだろうな色々と
161 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 18:02:21.73 ID:cVWwOx560お国柄が騎馬民族って印象だけど、造船・操船技術はどの程度だったの?
223 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 18:16:09.15 ID:dF4xPnoo0侍が強かったから
終わり
246 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 18:20:46.10 ID:xcdX5qpf0終わり
貧弱な兵站に朝鮮兵が主力じゃ日本に勝てるわけがない
257 名前:名無しさん@1周年:2020/01/06(月) 18:22:46.84 ID:1T2oxLSn0元軍が愚かだったから
引用元:https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578298368/スポンサード リンク
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補給線が長過ぎる、渡海
加えて当時のモンゴルの強味は騎兵と遊牧民特有の補給方、海を渡る時はどちらも活かせない。
地の利もない。最初から勝てる要素がほぼない。
本気で勝つつもりなら対馬を占領してからの物量による長期戦だが、
経済的な負担が半端ないから経済が保つかわからない。
勝っても負担は大きく利がないし日本全土を占領し続けるのは不可能。
攻めたこと自体が愚考。
加えて当時のモンゴルの強味は騎兵と遊牧民特有の補給方、海を渡る時はどちらも活かせない。
地の利もない。最初から勝てる要素がほぼない。
本気で勝つつもりなら対馬を占領してからの物量による長期戦だが、
経済的な負担が半端ないから経済が保つかわからない。
勝っても負担は大きく利がないし日本全土を占領し続けるのは不可能。
攻めたこと自体が愚考。
騎馬民族に海は無理だったんやろ。ベトナムにも負けた。
神風は主因ではない。
鎌倉武士たちが、強すぎた。
鎌倉武士たちが、強すぎた。
一回目はそもそも威力偵察と圧力外交で
最小の労力で支配下に置こうとしただけ
この時に本気を出しとけば日本もまとまってなかったし
拠点を築いてその後の展開はどうなるかは分からんかった
二回目は時宗が国内まとめて対策完備して徹底抗戦した
本気を出しても征服不能状態やった
神風は追い打ち程度の効果だった
昨今の歴史観ではこれが定説や無かったか?
最小の労力で支配下に置こうとしただけ
この時に本気を出しとけば日本もまとまってなかったし
拠点を築いてその後の展開はどうなるかは分からんかった
二回目は時宗が国内まとめて対策完備して徹底抗戦した
本気を出しても征服不能状態やった
神風は追い打ち程度の効果だった
昨今の歴史観ではこれが定説や無かったか?
上陸戦は難しいってことだ
騎馬で平地を駆け抜けるのとはわけが違ったってこと
騎馬で平地を駆け抜けるのとはわけが違ったってこと
列島各地で殺し合いやってた蠱毒みたいな修羅の国に飛び込んじゃ駄目だつて
日本海を渡って日本規模の国家を占領するのは、現代においても極めて困難
天然の要塞なんだよ
天然の要塞なんだよ
鎌倉武士が強いってのはネトウヨのホルホルでしかない
一回目はボコボコにやられて泣き言残しまくってる
結局戦争なんてのは経済力組織力の総合なんだから
各個人の武力や勇猛差なんか無意味
一回目はボコボコにやられて泣き言残しまくってる
結局戦争なんてのは経済力組織力の総合なんだから
各個人の武力や勇猛差なんか無意味
モンゴルは今で言うプロパガンダを活用した、戦争する前にトンデモ武勇伝を現地にバラまき
戦わずして降伏平定させた場所も多かったから、そこから兵站を得てさらに快進撃ができた
だからプロパガンダの通じない重武装の武士に島に籠もられて防衛戦されたら無理
ましてや兵站の調達補給も全て自前でやらなきゃならん、勝てる要素がなかった
戦わずして降伏平定させた場所も多かったから、そこから兵站を得てさらに快進撃ができた
だからプロパガンダの通じない重武装の武士に島に籠もられて防衛戦されたら無理
ましてや兵站の調達補給も全て自前でやらなきゃならん、勝てる要素がなかった
上陸しても、まともな砦や城を築ず、
拠点は海上の船だった。
こんな状態では絶対に勝てないよ。www
元使「ネェ〜モンゴル強イデショ〜?降伏シテクダサ〜イww」
某国「ひえぇぇわかりましたぁぁもう抵抗いたしませんんん〜(ガクブル)」
北条「此奴らの首を刎ねよ(全ギレ)」
相手が悪かったというのもあるな
某国「ひえぇぇわかりましたぁぁもう抵抗いたしませんんん〜(ガクブル)」
北条「此奴らの首を刎ねよ(全ギレ)」
相手が悪かったというのもあるな
どっちにしろ上陸時に勝てても先はないやろ…
今カイカイに
韓国人「モンゴルの植民地時代の後遺症」
って記事があるから一緒に読まないか?
韓国人「モンゴルの植民地時代の後遺症」
って記事があるから一緒に読まないか?
徴兵した朝鮮兵が戦意なさすぎて上官に向かって抵抗しまくったからな
数は揃ってても中身はズタボロよ
モンゴル軍は羊の群れと共に移動して途中で羊食いながら進んでたから、草原があるかぎりは進軍できたけど
海挟んじゃ兵站維持できんわな
数は揃ってても中身はズタボロよ
モンゴル軍は羊の群れと共に移動して途中で羊食いながら進んでたから、草原があるかぎりは進軍できたけど
海挟んじゃ兵站維持できんわな
まあ、弱かったろうね。なんたって、口減らしも兼ねた出兵だし
この記事にかけてる情報・・・高麗王がフビライに「島国の猿を懲らしめましょうぜ!」と進言して元寇になったという話
やつらは強かったよ、丸腰の民間人に対しては…
都人が神風にしたかっただけやぞ。
適当に作った船で来るから
[2475420]
[2475421]
ソースを提示して下さい。
[2475421]
ソースを提示して下さい。
出たっっ「ホルホル」www
ちょっとは正体隠す努力をしろやwwwwwwwwwwwww
ちょっとは正体隠す努力をしろやwwwwwwwwwwwww
そんな事を考察する必要性は何?
両軍ともに死力を尽くし戦って、
撤退中に暴風雨に巻き込まれた。
高麗軍には泣きっ面に蜂だった。
日本軍は白村江の戦の雪辱果す。
上陸出来ずに冬の日本海で嵐に遭ったり夏に何か月も漂って台風喰らったりなんて当然の事
神風ってのは祈祷のおかげで勝ったんだから恩賞寄越せと騒ぐ寺社のプロパガンダ
神風ってのは祈祷のおかげで勝ったんだから恩賞寄越せと騒ぐ寺社のプロパガンダ
詳しく調べてみると元が上陸してから予想以上に侵攻に成功していたりする
そこから鎌倉武士が奮闘して沿岸まで押し返して止めの神風って説が濃厚
そこから鎌倉武士が奮闘して沿岸まで押し返して止めの神風って説が濃厚
モンゴルと地続きなのに撃退できたベトナムのほうが凄いよ
>2475405
その一回目は少弐景資が劉復亨を狙撃して重傷負わせて、
それがきっかけで元軍の士気が落ちて撤退を決めた上での暴風雨のコンボだから、
個人の武勇で戦闘の帰趨が決まった戦いなんだよなあ
もう少し調べてから書き込めばいいのに、例外って何にでもあるのよ
その一回目は少弐景資が劉復亨を狙撃して重傷負わせて、
それがきっかけで元軍の士気が落ちて撤退を決めた上での暴風雨のコンボだから、
個人の武勇で戦闘の帰趨が決まった戦いなんだよなあ
もう少し調べてから書き込めばいいのに、例外って何にでもあるのよ
1回目に攻めて来たのは11月台風の時期ではない。
2回目は5月だが、上陸すら挿せて貰えず。
一月後に台風が来た。
神風が負けた理由の直接原因ではありませんよ。
2回目は5月だが、上陸すら挿せて貰えず。
一月後に台風が来た。
神風が負けた理由の直接原因ではありませんよ。
鎌倉時代は武士が一番殺気立ってたと言っても過言じゃない時期だからねぇ。
高麗が働く無能だったことも大きいんでないかな。
人数だけ聞けば大軍勢でも一般の宋や高麗の兵は烏合の衆と紙一重だったと思うし。
高麗が働く無能だったことも大きいんでないかな。
人数だけ聞けば大軍勢でも一般の宋や高麗の兵は烏合の衆と紙一重だったと思うし。
2475445 何しらばっくてくれてんだか ググればすぐ見つかるだろw
元寇について、高麗の王が元の皇帝フビライに日本を攻めるよう進言したと聞いたが本当か。そのことがわかる資料はあるか。
回答
(Answer)
当館所蔵資料では、以下のようなものが見つかった。
・回答資料1 『蒙古襲来』 新井孝重 著 (吉川弘文館 2007 p.135)
1278年、忠烈王のクビライ(フビライ)への訴えとして、日本を討伐しようという旨の文を現代語訳で掲載している。 典拠資料は『高麗史日本伝』
まだ続くがあとは自分で行け
回答
(Answer)
当館所蔵資料では、以下のようなものが見つかった。
・回答資料1 『蒙古襲来』 新井孝重 著 (吉川弘文館 2007 p.135)
1278年、忠烈王のクビライ(フビライ)への訴えとして、日本を討伐しようという旨の文を現代語訳で掲載している。 典拠資料は『高麗史日本伝』
まだ続くがあとは自分で行け
彼らにとって日本は修羅の国だったから
そして名も無き修羅が強すぎただけの話
そして名も無き修羅が強すぎただけの話
サーチナではまだ神風のお陰という認識なのか。橋頭堡を設置しなかった?、いやいや、できなかったんだよ。
日本の武士がめっぽう強くて攻め倦ね、橋頭堡も確保できないので、一ヶ月くらいの間、戦っては船に戻るを繰り返していた。あの季節で長期間海上にいれば台風にやられて当然。台風が来なくてもいずれは退却しかなかっただろう。
日本の武士がめっぽう強くて攻め倦ね、橋頭堡も確保できないので、一ヶ月くらいの間、戦っては船に戻るを繰り返していた。あの季節で長期間海上にいれば台風にやられて当然。台風が来なくてもいずれは退却しかなかっただろう。
こんなサイト二度と見ねーわ
2475595 なんかいろいろと誤解がありそうな気がするが大丈夫か
あの時代に海を越えた先に軍隊送るのは普通に凄いが、流石に不備が多すぎたな。
坂東武者は、日本史上最も恐ろしいソルジャーやし
元服15と言われる前の12歳で首を上げるのがおかしくないような時代やぞ
東国の武者は、肉も食いまくってたから、背も高かった
単純な膂力だけでも負けてはいなかったと推察される
元服15と言われる前の12歳で首を上げるのがおかしくないような時代やぞ
東国の武者は、肉も食いまくってたから、背も高かった
単純な膂力だけでも負けてはいなかったと推察される
大陸から帆をかけて攻めてくるなら、西風の時期を待たなければならず、そんな時期に侵攻してくれば、何処かで台風にぶつかるのは必然。
…と、現代人が適当に言って見る。
…と、現代人が適当に言って見る。
日本人の勇猛果敢さゆえ
誹謗中傷、差別、反社会的な内容、未成年に不適切なコメントなどはお控えください。
コメントスパム対策のため、きつめに禁止ワードを設定しております。
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